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2008年4月

2008年4月30日 (水)

お姑さんの愛情は打算的?

「お姑さんがあんたによくしてくれるのは、べつにあんたが好きだからじゃなくて、あんたによくしてやれば、息子である旦那さんの負担が減るからだよ。」

ヒヨリが母親に、お姑さんがすごくよくしてくれることを電話で話すと、母親からこういう答えが返ってきました。

確かに、そうかもしれません。でも、母親の、つねに打算的な愛情を裏打ちしたかのようなこの発言を、平気で口にできるのを聞いて、「ああ、この人はほんとうに人を愛したことがないんだなあ」とヒヨリはあらためて思いました。

父方の祖母はそんなにたくさんお金があるわけでもないのに、お正月には必ずお嫁さんたちに自分の持っているものをプレゼントしていました。

でも、母親は、お姑さんからバッグや洋服をもらうたびに、「こんなくだらないもの」「センスが悪い」「ごみになる」など、文句ばかり言っていました。

誰かからの好意に優劣なんかないのに、祖母からの贈り物に文句をつける母親のことばをいつも聞いては、悲しい気持ちになりました。

ヒヨリのお姑さんは、まだヒヨリと旦那さんが付き合っていたときから、一貫してほんとうの娘のように親切にしてくれました。ひとり暮らしをしていたヒヨリに、毎週やまほどの手料理や果物をくれました。

お舅さんは、いつもヒヨリが遊びにくるのをとても楽しみにしてくれていて、バス停まで迎えに来てくれたり、たくさんお話をしたり、旦那さんの実家に行くと、ヒヨリはここに嫁に来てほんとうに良かったと思います。

ヒヨリは、誰とでも、愛情の貧しい関係だけは築きたくないです。いつも旦那さんのお父さんとお母さんには、感謝の気持ちを忘れないで、愛情豊かに一緒に過ごしていければいいなあ、と思います。

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2008年4月28日 (月)

祖母に認められたい母親、母親に認められたい娘の連鎖

母親はヒヨリのいとこの香織ちゃんをとても可愛がっていました。「香織ちゃんは可愛い」「香織ちゃんは内孫だから」とことあるごとに言っていました。香織ちゃんの好きなアイドルのCDなどを買ってこまめにプレゼントしたり、とにかく香織ちゃんに好かれようと必死でした。

香織ちゃんは、母親の母親、つまり、ヒヨリの祖母と同居しているいとこで、祖母がとても可愛がっている孫でした。祖母に認められたい母親は、香織ちゃんを可愛がることで、自分も祖母に認められている、と思いたかったのでしょう。

ヒヨリは、どんなにいい成績をとっても、どんなにピアノをうまく弾いても、無条件で、祖母のお気に入りの孫だということで可愛がられてる香織ちゃんにはかないませんでした。いつも母親にとってヒヨリは二番手、三番手に位置する子どもでした。

成績が良くなくても母親に愛されるっていうのは、どんなにか心地よいことなんでしょうね。ヒヨリは体験したことがないのでわかりませんが、想像するだけでも、すごく幸せなことなんだろうなあ、と思います。

終業式のあった日は、必ず祖母の家へ連れて行かれました。ヒヨリの通知表を祖父と祖母に見せるためです。祖父と祖母に通知表を見せることで、母親は自分の手柄を誇示したかったのでしょう。この日だけは、母親はいつも満足そうにしていました。

祖母に認められたくて、自分の子どもを愛せなかった母親。母親に認められたかったヒヨリ。でも、ここでこの連鎖を断ち切ります。ヒヨリは、無償の愛情を子どもにたくさんふりそそいで、ヒヨリがもらえなかったものをたくさんあげたいと思います。

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2008年4月27日 (日)

子どもは親に「いい思い」をさせるために生きている

高校生の時の記憶がほとんどありません。通学路も、誰がクラスメイトだったかも、校舎の作りも、ほとんど思い出せないのです。高校時代があまりにも辛く、解離症状を起こしているのでしょう。

そんな数少ない記憶のなかでも、母親のことはいくつか、しかし明確に覚えています。

ヒヨリは県内でも1、2位を争う進学校に通っていました。中学のときはクラスでトップの成績でも、進学校に行けば、それもなかなか難しくなります。ヒヨリの成績もいまでは細かいところまで思い出すことができませんが、トップクラスでなかったことは確かです。

中学のときは、ヒヨリが持って帰る成績表を今か今かと待っていた母親でしたが、高校の成績表は「見たくない」といって、三年間一度も見ませんでした。それは、成績で母親に認められたい、と思っていたヒヨリの存在をすべて否定する行為でした。「ああ、成績の悪いヒヨリは好きじゃないんだな」って。

母親の思うような成績をとれないヒヨリにいらいらしていたのでしょう。勉強しているときに突然後ろから来て、頭をどついていくこともありました。

あるときは「高校に入ってから、一度もいい思いをさせてもらったことがない」と吐き捨てるように言いました。ヒヨリは、母親にいい思いをさせるために生きているわけじゃないのにね。でもそのときは、「母親にいい思いをさせてあげない自分は親不孝なんだ」と真剣に思っていました。

同級生が推薦で大学が決まると「大学決まって羨ましいわね。」とヒヨリに当てつけるように言うので「私だってがんばってるんだから、そんなふうに言わなくてもいいじゃない」というと、「羨ましいものを羨ましいって言って何が悪いのよ!」と逆切れしてました。

大学進学がそんなにいいなら、自分で大学入学してみろ!

自分でいい成績とって、自分で満足を生み出せ!

子どもを道具みたいに使って、自分では何も努力しないでグダグダいってんじゃねーよ!

お前は寄生虫か!

こうして1番楽しいはずの高校生時代は、存在を否定され続けて、辛い思い出として頭から解離してしまったのでした。

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2008年4月25日 (金)

「ぬくもり」は気持ち悪い

「お母さん、“ぬくもり”ってなに?」と小学生の頃に聞いたら、ぞっとしたような目つきで「気持ち悪い子どもだ」と母親に言われました。

世の中のお母さんたちは、同じ質問をされたら、やっぱり気持ち悪いって思うんでしょうか?

ヒヨリは母親に触ってもらった記憶がまったくありません。抱きしめてもらったり、頭をなでてもらったり、手をつないだり・・・。いまなら、なんで母親が「ぬくもり」ということばを口にしたヒヨリを気持ち悪がったのか、よくわかります。

ヒヨリを愛してなかったからです。

手はかなりかけてもらいました。宿題もできないものは全部手伝ってくれたし、遅刻しそうなら車での送り迎えもしてくれたし、みすぼらしい格好をしないように服も買ってくれました。

でも、それは、ヒヨリにいいものを着せて、いい学校へ入れて、いい子どもを世間に提示して母親自身が満足したかっただけで、ヒヨリのことを愛していたからではないのです。

愛してもいない、自分の満足だけを考えながら手をかけた子どもが「ぬくもり」なんてことばを発したら、それは気持ちが悪かっただろうと思います。ロボットに「ぬくもり」を求められたようなものですから。

ヒヨリがどんな人間か、さいごまで母親は知ろうとしませんでした。病気になったヒヨリは、母親にとって「ロボットの反乱」でした。さいごまで自分の虚栄心を満足させるための道具としてしか見てくれませんでした。

ヒヨリは、これから出会うどんな子どもたちにも、たくさんのぬくもりを与えていきたいと思っています。そして、ひとりでも多くの子どもが、母親に抱きしめてもらうことを祈るばかりです。

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2008年4月24日 (木)

買い物依存症から這い上がる日々

毎月30万円の買い物依存症から、どう脱出したのか。

本格的な病院での治療が始まると、ヒヨリ名義のクレジットカード、キャッシュカードは全部旦那さんに預かってもらい、週8000円(貰いすぎ)のお小遣いを貰いながらの生活をはじめました。

ほんとうは、一ヶ月に3万円のお小遣いでスタートしたのですが、現金が手に入ると翌日には全部使ってしまうというありさまで、一ヶ月に計画的に使うということがまったくできなかったのです。だから、毎週月曜日に8000円ずつもらうようにしました。

それでも、はじめは、8000円をもらうとのすぐに服を買っていっぺんに使っちゃったり、マッサージに行きたいといって、もっとお小遣いをせびったりして、せっかく旦那さんが働いたお給料なのに、ひどいお金の使い方をしていました。

毎日毎日やることもないのに、メイクして、おしゃれして、繁華街に出てお店というお店を五時間でも六時間でも歩き回り、100円でも、200円でも、どうしたらお金をたくさん使えるか、そればかり考えていました。だから、週末には1円も余っていませんでした。

あれから三年・・・いまは週5000円のお小遣いをもらって、貯めて服を買ったり、読みたい本を買ったり、自分の欲しいものを買うためにお金をやりくりできるようになりました。余って貯金できるようにもなりました。でも、これでもまだ貰いすぎだとは思っているので、もう少しお小遣いを減らして家計にまわせたらいいな、と思っています。

あと、最近、家計を任せてもらえるようになり、月5万円の食費を預かれるようになりました。このなかで、スーパーで買い物をして、毎日家計簿をつけています。以前なら、5万円なんて持っていたら、誰の、どこのお金だろうと我慢ができなくて、速攻で洋服やアクセサリーを買い込んでいました。

夢は、パートに出て、お金を稼いで貯めることです。ほんとうはすぐにでも働きたいけど、ヒヨリはまだ体調がよくないときがあって、毎日定期的に働きに出ることができません。そんな状態で雇ってもらっても、雇い主さんに迷惑をかけてしまいますからね。ああ、はやく働きたいなあ。

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2008年4月23日 (水)

買い物依存症へ堕ちてゆく日々

毎月、約30万円ほど使い込んでいたのは、かれこれ三年前くらいでしょうか。

その頃の私は、結婚していましたが、まだ仕事をしていて、毎月のお給料は22万円くらい。その少ないお給料と、貯めていた貯金を切り崩して、毎日毎日洋服やら靴やらアクセサリーやらを買っていました。いつも貯金通帳はマイナス、それを定期預金から引き出して埋め合わせる、という毎日でした。

お財布に入っている現金はもちろん、クレジットカードも使えるだけ使いました。百貨店のキャッシングカードも使いました。とにかく、何か欲しいものを見つけて、買って、ウキウキしている気分を維持できないと、不安にかられて仕方がなかったのです。それは、過食をして、口に甘い食べ物を詰め込んでいないと気がすまないのと同じ気持ちでした。

たいして気に入らないものもたくさん買いましたから、値札も取らないうちに、ヤフーオークションに出して売り払ったものもたくさんあります。値札がついてると、未使用ってことで、高く売れますしね。オークションで売ったお金が入ると、またそれでもっと高いものを落札するという自転車操業をしていました。

病気で会社を辞める頃には、貯金はゼロ、退職金も使い果たしてしまいました。あきらかに買い物依存症でした。

その上、自殺未遂をして病院の集中治療室に運ばれること二回、精神科に入院すること三週間。この入院費が全部合わせて50万円くらいかかりました。旦那さんが全部処理してくれましたが、はっきりいって、家計は火の車だったと思います。

この買い物地獄からいったいどうやって立ち直っていったのかは、また明日書くことにします。

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2008年4月18日 (金)

精神科に金払って、薬飲んで、お皿洗いを勉強する

子どもの宿題を親がやるのって、当たり前なんですか?

ヒヨリは家庭科の宿題を自分でやったことがありません。袋づくりも、フエルトのぬいぐるみづくりも、スカートづくりも、母親が全部とりあげて、自分でやってしまいました。

母親は洋裁の学校を卒業していて、得意だと自負していました。だから、ヒヨリの宿題を自分でやって、それをヒヨリが学校へ持っていって褒められると、自分が褒められたような気分になっていました。

そう、学校のテストで点数をとって、満足するには、ヒヨリを馬車馬のように勉強させて、点数をとらせるしかないのですが、家庭科の宿題は、自分でやりさえすれば、満足する点数を得られるわけです。何度か通知表でオール5をとって、母親は満足できたようです。ヒヨリはおかげで一切家庭科のことはわからないし、ものをつくる楽しさも味わうことはありませんでした。

家事の手伝いも一切したことがありません。母親が、家事は、自分の成果を示す場所だと思っていて、ヒヨリが手伝うと、完璧にできないことを嫌がったからです。子どものことはなにも考えていません。ただひたすら、自分が評価されることを気にしています。

だから、お皿を洗うこととか、洋服を洗濯をすることとか、掃除をして部屋をきれいにすることとか、そういう生活の基本的なことがまったく身につかず、おかげで、いま精神科に通いながら、「生活の基盤をつくる」という人間らしい生活の基本的なことを、習得しているわけです。わざわざ、病院に行って、薬飲みながら、当たり前のことを勉強しているわけです。

結局、自分のことしか考えない女なんですよね。いま、母親に聞いても「あんなにやってあげたのに」とかなんとか言うでしょうね。意外といるんじゃないですか?こういう親。

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2008年4月17日 (木)

イライラする本、鬱を吹き飛ばす本

読んでいると最高にイライラする本『子どもが育つ魔法の言葉』。そして、ヒヨリはこの本がすごく欲しくてたまらないのです。

なぜこんなアンビバレントな感情をこの本に抱いているかというと、この本は、すごく理想的なことばがたくさん詰まっていて、愛情にあふれてて、ヒヨリがこれから子どもと接していく上で大切にしたいことばかりが書かれています。そして、ヒヨリが子どもの頃にひとつも貰えなかったものばかりが書かれていて、自分の受けてきた貧しい愛情を思い出して吐き気がするのです。

だから、欲しいなあ、と思って立ち読みして、イライラして、結局買わないのです。

読んでいると最高に元気になる本もあります。

最近、とても子どもが欲しいと思っていて、まついなつきさんの『笑う出産』を何度も何度も繰り返し読んでいます。この本は、まついなつきさんが、インドに行って、出会って数日のご主人との子どもを身ごもってから、出産するまでのエッセイなんですけれども、妊娠するとか、出産するとかの前に、生きるのがとても楽になります。鬱のときに読むと感動して元気が出ます。何度も読むたびに、

ユーモアは人生の饗宴においての最も風味に富んだ調味料である。自分の失敗を笑い、そしてそこより学べ。自分の苦労を笑い草にしつつそれから勇気をかきあつめよ。困難を笑い飛ばしながら、それに打ち勝て。(『アンの愛情』)

という一節を思い出します。

ヒヨリはまだ妊娠できるほど薬の量が少なくないので、もう少し減らさなくてはなりません。でも、将来は妊娠できる体にもっていこう、と病院の先生とも話をしています。

みなさんは、どんな本に心を揺さぶられるのでしょうか?

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2008年4月15日 (火)

人格障害の本を書く人の責任

新刊で本屋さんに並んでいた境界性人格障害の本を読んでいたら、「身近な人(親)に怒りをぶつけることもあります。そのため、親が自分が悪いのかしら、と思い込んでしまうこともあります」と書いてあった。

「なにを言っているのだこの作者は?」と思った。虐待してきた親のせいで境界性人格障害になる人もいるんだぞ。その親がこの本を読んだら、「やっぱり自分は悪くないんじゃん」ということになるんだぞ。虐待された子どもは、「虐待された自分が悪かったんだ」って、もっと追い詰められるんだぞ。

書く力があって、それを出版するということは、とても責任の重いことだとヒヨリは思っています。世の中に少なからず影響を与え、読者の人生の糧となるからです。

「境界性人格障害が良くわかる本」などと銘打った本には、その障害に悩まされている人がたくさん手に取るわけでしょう。ヒヨリは障害者に関わる仕事をしていたのでわかりますが、こうして障害をテーマにした本は、まるで機械の取扱説明書みたいに障害者の扱い方とか生態みたいなのをかいてあることが多いです。障害を、同じ目線で、同じ人間として描いてくれる本は少ないです。

虐待した親は、子どもの人生を狂わせた犯罪者です。いまもたくさんの人が、虐待された過去に悩まされて、いろいろな心の障害を抱えながら毎日を送っているのですよ。それをちゃんと世の中に開示していくのも、本を書く人の責任だと思います。

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2008年4月14日 (月)

過食・一度でいいから普通に食事をしてみたい

過食がとまらないヒヨリは泣きながら母親に電話をしました。すると、「太るところまで太ればいいじゃない!」といらいらしながら電話を切りました。見捨てられた気持ちでいっぱいになりました。

親に、過食についてわかってほしくて、過食について書かれた本を貸したときには、「結局本人の意思の弱さだって書いてあった」といわれました。本を読んでないことがバレバレです。

過食するとき、ヒヨリは泣きながら食べていることがよくあります。だって、本当は食べたくないと頭では思っているのに、手が、口が、勝手に食べ物を体に詰め込んでいくのです。そんな自分が情けなくて、辛くて、どうしようもないのです。

食べるものは主に菓子パン、プリン、シュークリームなどの甘いものです。コンビニで買い込んできます。昔は、家に着くまでの時間も耐えられなくて、歩きながらパンの袋をやぶって、食べながら帰りました。

いまだに満腹まで食べた、という感触を得られることはなかなかありません。自制しないといくらでも胃袋に食べ物が入っていきます。満足ということを知らないのです。無間地獄です。毎日毎日、カロリー計算をしながら、食べ物を選んでいます。

一度でいいから、カロリーを気にしないで、心から満足して普通に食事をしてみたいものです。

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2008年4月11日 (金)

憎まれて生きるのも自業自得

誰かに憎まれながら生きていくのはかわいそうですか?

父親は母親が私に憎まれてかわいそうだと言いました。

当然でしょう。それなりのことをしたんだから。何回も言うけど、殺人犯が被害者から恨まれて当然なように、どんなに時間がたっても、取り消せないんですよ。虐待してきた事実は。

もし恨まれている自分が不幸だと思っているのなら、それは自分のせいだということをしっかり覚えておいてもらいたいものです。

そういう考え方を教えてくれたのは、ほかならぬ、母親です。

ヒヨリが小学生の頃、クラスに成績のいい兄と比べられて、ぐれ始めた同級生がいました。学校で、家で、悪いことばかりしていましたが、そのうちシンナーに手を出して、体を壊して入院してしまいました。

ヒヨリはそのとき思いました。確かに悪いことしてる同級生は悪いけど、でも、それは彼だけの理由ではない気がするし、なにより、誰だって入院するほどシンナー吸って体壊したらかわいそうだなって。同じ歳なのに、どうして彼はそんなに苦しんでるんだろうかって。

そう母親に言ったら「どんなことをしても過去にやったことは消せないんだから。自業自得だと言われても仕方ない。だから可哀想じゃない」と、まるで彼に同情したヒヨリの考え方がおかしいかのようにきつい口調で言い返してきました。彼を可哀想と思ったヒヨリはおかしいですか?

ヒヨリが病気になってから、「あの時こういったじゃない」「こんなことされたんだよ」と言っても、「そんなこと覚えてるほうがおかしい」とか、「そんな昔のこと出してきてどうするのよ」とか言ってたよね。

でもね、自分で言ったことば、そのままそっくり返してあげる。

「どんなことをしても過去にやったことは消せないんだから。自業自得だと言われても仕方ない。だから可哀想じゃない」

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2008年4月10日 (木)

ママゴト・セックス

結婚したとき、母親からもらったはなむけのことば。

「どうせママゴトみたいなもんだ」

鼻で笑いながら言いました。おめでとう、のひとこともありませんでした。

なるほどー。結婚はママゴトなんですね。母親はママゴトセックスで私を産んだわけかー。妙に納得。ママゴトで子どもつくって後片付けしないでそのままほったらかしにしちゃったんですね。ますます納得。

ヒヨリは結婚式をしなかったので、両親の顔合わせがいちばんのイベントでした。ところが、これをまた母親がめちゃくちゃにしたんですよー。

暴言を吐いた?あざけった?いえいえ、そんな積極的な方法じゃありません。

なんと、私を無視したんです。

目を合わせず、話もせず、ひたすら無視。彼のご両親とだけは、ぽつりぽつりと話していましたが、ずっと無愛想。彼のご両親が帰るとまた黙り込み。子どもですか?機嫌を損ねた子ども?っていうか、なんで機嫌損ねてるの?沢尻エリカ?ぜんぜんわかりません。

一生に一度あるかないかの娘の結婚で、こんな態度をとれるなんて、ホント、大胆不敵です。おかげで、一生に一度あるかないかの貴重なライフイベントになりました。

私の親事情を知る高校からの友人は、私の結婚を知って、「幸せになるんだよ」と心から言ってくれて、とても嬉しかったのを覚えています。人が人を祝福する気持ちを考えるとき、血のつながりなんか、なんの意味もないんですよね。

ママゴトはじめたなら、最後までお片づけしましょうね。

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2008年4月 9日 (水)

「お母さん」の資格

精神的な虐待を受けてきたヒヨリにとって、自分の母親を「お母さん」と呼ぶのには抵抗があり(いや、嫌悪感といったほうが近い)、いまはもう、あくまで「母親」。もっと正確に言う時間と機会が与えられるなら、確実に「産みの母親」といいます。母親本人が「確かに産んだけど育てた覚えはない」といってますから、こう言っても差し支えないと思います。

その代わり、私には大事なお母さんがいます。旦那さんの母親です。こういう場合、「お姑さん」というのかもしれませんが、ヒヨリにとっては「お母さん」です。

それを決定付けたのは、ヒヨリが大量服薬をして集中治療室に入院したときのことでした。はじめに病院に来たのは「産みの母親」でした。しかし、ベッドに寝ているヒヨリと目も合わせなければ、さわることも、一言も声を発することもなく、すぐに帰りました。きっと、見るもおぞましい光景だったんでしょう。

そのあと、お母さんが来てくれました。その日に退院できるということになって、旦那さんが奔走していろんな事務的な処理を終えるのを待ってくれて、お母さんは、外を歩いたら奇異な目で見られそうなパジャマ姿のままの私(病院に運ばれたときパジャマだったのでそのまま)の手をしっかりつないでくれて、声をかけながら家まで付き添ってくれました。

嫁が自殺未遂なんて、とてもじゃないけど、ふつうのおうちだったら非難されたり、罵倒されることもあるだろうし、離婚しろといわれても仕方ないことだと思います。でも、お母さんは、決して怒らなかったし、いつも心配してくれています。

ヒヨリはお母さんにとても、とても感謝しているし、絶対に恩返しをしていきたいと思っています。そして、将来はお母さんのようになりたいのです。

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2008年4月 8日 (火)

子どもを「勝ち組」にしたい母親の末路

中学のときの定期試験、五教科で480点。学年で2番。超進学校への進学は確実。あなたがその子の親ならどうしますか?

ヒヨリの母親は「1番じゃないじゃない」と言いました。吐き捨てるように。

その頃は、親を喜ばせるため、親の自尊心を満足させるためだけにテスト勉強をしていましたから、「ああ、1番じゃない私はだめなんだ」って思いました。ヒヨリ、カワイソウですね~。いまだったら、そんなこと言われたら、次のテストは絶対白紙で出してやるんですけど。

でも、たぶん、1番とってもきっと何か理由をつけて母親は褒めなかったと思います。なんでかって?だって、「そこで褒めたら子どもが勉強をしなくなる」とか、「1番をとったことを褒めたら、つけあがる」とか、絶対母親は考えますもの。とにかく馬車馬のように生産させ続けたいんです。母親の虚栄心を満足させるものをね。

こういう母親の末路がどうなるか、ご存知ですか?もし、自分の子どもを偏差値の高い大学に入れて、勝ち組にしたい、なんていまどきそんなこと考えてる親がいたら、ぜひ聞いておいたほうがいいです。

なにもなくなっちゃうんです。

考えれば簡単なことです。自分の満足を得るために子どもをこき使って、使えなくなったら捨てる。牛や豚のような家畜なら代わりはいますが、子どもに代わりはいません。そしたら、母親をやってるあなたは、自分の生活を満足させるものを、自分で生産できますか?はい、できませんね。子どもが生まれてから成人するまで20年間、自分自身では知識も教養も身に着けず、ひたすら子どもの尻を鞭でたたいてたら、母親自身にはなにも残らないんですよ。

夫や子どもの地位や出世だけが生活の楽しみ・・・そんなつまらない人間になるのだけはまっぴらごめんです。

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2008年4月 5日 (土)

子どもは「飼い犬」

実家で飼っている柴犬に噛まれた母親が言ったのは「飼い犬にいつも手を噛まれる」でした。ヒヨリが心の病になって、それを指して言ったことばでした。子どもを「飼い犬」って言うなんて・・・。子どもがいる人は、子どもを「飼い犬」ということに抵抗ないんでしょうか。ヒヨリに子どもはいませんが、将来子どもができたら、自分の子どもを「飼い犬」なんて絶対に言いません。

実家の柴犬は、いつもたたかれていました。それも、しつけというよりも母親が感情的になって、ありったけの力をこめて何回も何回もたたかれます。そのせいで、ちょっと手をかかげただけでびくっと身をひく犬になりました。

アレルギーで普通のドッグフードが食べられなかったので、十年以上、ひき肉を茹でたものしか食べていません。野菜や、ほかの食材でゴハンを作ってあげる、という考えが母親にはありませんでした。

そして、母親の機嫌のいいとき、クッキーやジャーキーをあげていました。犬のためじゃありません。自分があげるのが楽しいからあげてるんです。だから、カロリーだけを摂取して、ぶくぶくと太った犬になってしまいました。小さな子どもだって、可愛いからといってお菓子ばかりあげて育ててたら、肥満で栄養の偏った子どもになることはわかりきっています。だから、親は栄養をいろいろとらせようと、ごはんを考えるんです。

自分のエゴイズムだけで育てる。それがヒヨリの母親です。「育てる」なんてことばも似合わない。「えさをやる。折檻する。」犬に対しても、自分の子どもに対しても。

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2008年4月 4日 (金)

パグ犬と心の病

精神的虐待を受けた心の傷を癒すのをたすけてくれているのが、我が家のパグ犬、ぱぐ男(二歳・仮名)です。

この数日間、ヒヨリはまたもや「自分は必要とされていない」という妄想にとりつかれて眠り続けていました。過食にも走り、夜中にセブンイレブンに行って、大きな菓子パンを四個と、チーズケーキを1ホール買ってきて、悲しい気持ちで口に詰め込んではトイレで吐いていました。

何を言っても妄想に取り付かれたままもとに戻らない状況に、ヒヨリの旦那さんもほとほと疲れてしまいました。そんななかでどんな状況にも動じないのが、ぱぐ男です。

ぱぐ男は、ヒヨリが起きると、トコトコあとからついて歩きます。ぐったりして座っているとペロペロなめてくれます。散歩に連れて行けば喜ぶし、ゴハンをあげるととびついて食べてくれて、いつでも元気一杯で、どんなにヒヨリがひどい状況になっても、変わらずにぴったりそばにいてくれます。

ぱぐ男は生後三ヶ月で我が家にやってきました。ヒヨリがいまよりももっと大変な病状のときに、病院の先生と相談して飼うことに決めました。虐待で心が死んでいたヒヨリにとって、犬が可愛い、という気持ちすら死んでおり、犬がくれば何か変わるかも、という動機で飼い始めました。だから、ぱぐ男が小さい頃に可愛がったなあ、という記憶があまりありません。いま思えばひどい飼い主です。

でもこの二年、うんちやおしっこの世話をしたり、ごはんをあげたり、散歩したりして育てているうちに、なにかを可愛がる、という気持ちや、愛情をもつ、という気持ちが生まれてきました。

三十歳を越えても、感情って育つんです。

ヒヨリも、旦那さんも、毎日ぱぐ男に癒されていて、ぱぐ男には感謝するばかりです。ぱぐ男、いつまでも元気で一緒に暮らそうね。

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2008年4月 2日 (水)

悲劇のヒロインづらする親

実家には、妹夫婦や妹の子どもの写真がたくさん飾ってありますが、ヒヨリの写真は一枚もありません。

数年前、まだ「母親が変わってくれるのではないか」と希望を多少なりとも抱いていた頃、旦那さんと実家に帰ったときに、窓際にはヒヨリ夫婦の写真が飾ってありました。その夜、ヒヨリは母親に自分の病気のことや、母親にこうしてほしいということを訴えたのですが、まったくとりあってもらえず、ヒヨリは具合が悪くなってしまい、早々に布団に入りました。

次の日、ヒヨリは体が動かなくて起き上がることができず、お昼過ぎにようやく起き上がりました。よろよろと起きていくと、リビングには父親、母親、ヒヨリの旦那さんがいました。ヒヨリがリビングに顔を出すタイミングにあわせて、母親は大きな笑い声をあげました。そして、馬鹿にしたような口調で「ふてくされて寝てた」といいました。ヒヨリはそれを聞いて、また気分が落ち込み、布団に戻りました。

夜、起きてリビングを通って台所に水を飲みに行くと、窓際に飾ってあったヒヨリ夫婦の写真はなくなり、代わりに妹夫婦の写真が飾ってありました。

親としても最低の行為ですが、それ以前に人間として最低の行為です。人を傷つけて、馬鹿にして、喜ぶ。こうして徐々にヒヨリは、親が子どもをこれっぽっちも愛していないということがあるのだということを認めていくことになります。

母親は自分がセックスしてできた子どもを、おもちゃにして遊んでいただけなんです。そうしておもちゃを持て余してくると、自分の子どもが化け物になって、悲劇がおきたかのように振舞っているのです。

そんな母親を、父親は、私から恨まれてかわいそうだと言ってます。ばっかじゃないの。自分の責任を棚に上げて、悲劇のヒロインづらするんじゃないっつーの。

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